パラティーノの丘(Palatino)
パラティーノの丘について
パラティーノの丘は、都市ローマの礎を築いたローマの七丘の中で、最も古い歴史を持つ丘です。
標高約40メートルの台地に位置し、北側にはフォロ・ロマーノ(Foro Romano)、南側にはチルコ・マッシモ(Circo Massimo)を望むことができます。
火山灰や軽石が堆積して形成された凝灰岩の断崖による防御性と、ヴェラブロ渓谷(Velabro)を望む地政学的な優位性から、都市国家の発祥の地となりました。
考古学調査では、紀元前8世紀頃の集落跡が発見されており、ローマ建国以前から人々が暮らしていたことが明らかになっています。
ローマ神話に登場する建設者のロームルス(Romulus)とレムス(Remus)が育った場所の近くと伝えられ、ローマ発祥の地として語り継がれています。
紀元前9〜8世紀に建設されたロームルスの小屋(Capanne di Romolo)は、木材と藁を用いた原始的な住居です。
共和政ローマ時代には、政治家や貴族が競うように邸宅を構え、高級住宅街として発展しました。
紀元前2世紀末に建設されたグリフィの家(Casa dei Grifi)は、古代ローマにおける石積み工法の変遷を示す遺構として知られています。
ローマ帝国時代には、アウグストゥスの家(Domus Augusti)やリウィアの家(Casa di Livia)が建設されました。
初代皇帝のアウグストゥス(Augustus)は、既存の邸宅群を統合・再編し、国の権力機関と住居が同居する空間を形成しました。
ドムス・ティベリアナ(Domus Tiberiana)やドムス・アウグスターナ(Domus Augustana)などの宮殿が段階的に建設され、ローマ帝国の権力中枢へと発展していきました。
これらの宮殿群は、レンガとコンクリートで建設されており、古代ローマの高度な建築技術を今に伝えています。
公共エリアには、列柱廊、庭園、水盤が設置され、都市の中心にありながら静かな住環境が創出されました。
第5代皇帝のネロ(Nero)が建設した、全長130メートルの地下回廊のネロのクリュプトポルティクス(Criptoportico Neronian)は、宮殿群を結ぶ通路として機能しました。
丘の南側には、幅48メートル、長さ160メートルのスタディオン(Stadion)が設置され、競技場や乗馬訓練場として使用されていました。
ローマ帝国の衰退後は廃墟化し、建物のレンガやコンクリートは、中世の建設資材として再利用されました。
16世紀には、ファルネーゼ家(Farnese)が世界初の植物園であるオルティ・ファルネジアーニ(Orti Farnesiani)を建設しました。
20世紀初頭には、考古学者のジャコモ・ボーニ(Giacomo Boni)を中心に発掘調査が進められ、堆積した土壌の下から沢山の構造物が解剖されました。
ラテン語のパラティウム(Palatium)は、ヨーロッパ圏における宮殿(Palace、Palazzo、Palast)の語源となりました。
幾層にも重なった廃墟の中に、古代ローマの都市形成と建築技術の発展過程を読み解くことができる建築です。
パラティーノの丘の写真


































