ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代
展覧会の内容
ル・コルビュジエが故郷を離れパリでピュリスム(純粋主義)の運動を推進した時代に焦点を当てた展覧会『ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代』へ行ってきました。
都市計画からインテリアデザインまで多岐にわたる10年間の活動を美術作品・模型・映像と共に紹介します。
1887年にスイス北西部の基礎自治体ラ・ショー=ド=フォン(La Chaux-de-Fonds)で文字盤職人の父とピアノ教師の母の間に生まれたシャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリ(コルビュジエの本名)
1902年から1907年に地元の美術学校でビジュアルアートを専攻。
コルビュジエの才能を見いだした校長の勧めで在学中に住宅を設計するなど才能に磨きをかけていきました。
卒業後はパリへ行きオーギュスト・ペレの建築設計事務所に約1年4ヶ月半勤務。
その後ドイツへ行きペーター・ベーレンスの建築設計事務所に5ヶ月勤務。
1911年から7ヶ月かけてヨーロッパを周遊し沢山のスケッチを描き留めました。
1917年に拠点をパリに移し1918年に理性的で秩序ある構成を目指すピュリスム(純粋主義)を唱え画家デビュー。
1920年に詩人のポール・デルメと画家のアメデエ・オザンファンと共に雑誌エスプリ・ヌーヴォー(L’esprit Nouveau)を創刊。
近代的な構築と総合の精神を芸術と生活のあらゆる分野に広めることを提唱。
1922年に従兄弟のピエール・ジャンヌレと共に建築設計事務所を開設。
著作「建築をめざして」の中で「住宅は住むための機械である」というコルビュジエの名言が生まれました。
芸術の究極の目的は普遍的な調和の実現であり数学的秩序によって達成されると考えていたコルビュジエ。
ピュリスム絵画の構図に幾何学的な秩序を与える手段として規整線(トラセ・レギュラトゥール)を考案。
大まかなスケッチで対象の組み合わせを考えた後に規整線を引いてそれぞれの対象の位置を調整。
オリジナルの美の規則性は多数のコルビュジエ建築に適用されています。
「建築は芸術であり、感動を呼び起こす造形に達してこそ建物は建築となる。」
コルビュジエの作品に触れるとインスピレーションと創作意欲が湧いてくる。
自分の思想を形にする知力と長く人々に愛されるモノづくりのヒントをもらえる展覧会でした。
展示風景
2016年に世界文化遺産に登録されたル・コルビュジエ設計の国立西洋美術館本館。
コンクリート打ち放しの円柱と三角形の天窓が印象的な1階の展示室。
建築と共鳴する作品を眺めながら緩やかなスロープを歩き2階の展示室へと移動します。
国立西洋美術館の研究資料センターが所蔵する写真と図面の数々。
今回の戦利品は展覧会本とポストカード。
気になった作品
1914年発表「メゾン・ドミノ」
従兄弟のピエール・ジャンヌレが第一次世界大戦後の復興のために考案した住宅工法システム。
柱を外壁より内側に入れることで自由度の高いファサードと平面を実現しました。
1922年竣工「イムーブル=ヴィラ」
隣接する住棟が道路を横断する空中廊下によって接続される共同住宅の計画。
20代のヨーロッパ周遊で訪れたフィレンツェ郊外のカルトゥジオ修道院が起源の1つと考えられています。
1925年竣工「画家オザンファンのアトリエと住宅」
屋外から2階へと続く螺旋階段と大きな面積を占めるガラスが特徴的なアトリエと住宅。
ピュリズム絵画の理念を3次元のオブジェとして現実空間に投影させました。
1925年発表「ヴォワザン計画」
自動車会社のヴォワザンの支援によるパリ中心部の都市計画。
古い建物が密集するセーヌ川沿いを一掃し幹線道路が貫通する新しい市街地を提案しました。
1927年竣工「クック邸」
アメリカ出身の資産家のウィリアム・エドワーズ・クック夫妻の住宅。
コルビュジエが提唱した近代建築の五原則(ピロティ・屋上庭園・自由な設計図・水平連続窓・自由なファサード)を投影した最初の作品です。
1928年竣工「スタイン=ド・モンヅィ邸」
アメリカ出身の実業家のマイケル・スタイン夫妻と友人のガブリエル・ド・モンヅィの共同住宅。
室内に目一杯光を運び込むため屋根や床を支える役割を果たさない外壁を制作しました。