バウハウス100年映画祭

バウハウス100年映画祭_1
期間 2019年11月から順次公開
公式サイト バウハウス100年映画祭

映画の内容

1919年に第1次大戦後のドイツで芸術と技術の新たな統合を目指し創設された バウハウス の歴史を辿る映画『バウハウス100年映画祭』を鑑賞しました。

バウハウスとは何なのかを紐解く6つの作品を4つのプログラムに分けて上映します。

 

1919年にドイツ出身の建築家ヴァルター・アードルフ・ゲオルク・グロピウス(Walter Adolph Georg Gropius)が創設した造形学校。

「全ての造形活動の最終目標は建築である」と宣言したグロピウス。

個々の造形芸術ジャンルの垣根を取り払い、それらの総合を目指すというバウハウスの根本的な姿勢を示す言葉です。

 

短い年月ながらも美術・デザイン・建築界を筆頭に革命を起こし、現在も脈々と受け継がれるスピリットの正体とは何なのか。

バウハウスで教鞭を取った建築家の作品や卒業生の声を通して、バウハウスの光と闇、バウハウスが現代に残したものを炙り出します。

 

3つのプログラムを鑑賞して実感したのは、モノづくりの過程や完成品には、作者のマインドがそのまま表れるということ。

余計な手を加え過ぎず素材そのものを美しく引き立てるデザインは、文化的で進歩的な国ドイツの精神が反映されています。

 

作り続けることで見える世界がある、作り続けることで新しい出会いがある。

守るべきこだわりを大切にしながら、創作意欲の赴くままに作品を作りたいと思わせてくれる映画でした。

【プログラムA】バウハウス:原型と神話

時代の波に翻弄された芸術家たちの喜びと苦悩、貴重な証言と記録で明かされるバウハウスの光と影。

バウハウスの校舎

1919年から1924年までヴァイマール(Weimar)に存在したバウハウス。

1925年に産業の中心地であるデッサウ(Dessau)へ校舎を移転しました。

初代校長のグロピウスが設計した、鉄とガラスがベースの透明感溢れる軽やかな建物。

ドイツ建築の最高傑作として学校の名を世界に轟かせ、1996年には世界文化遺産として登録されました。

「懸命に走っている間は、どこに向かっているか分からない。それが前衛的かどうかは、歴史が後で証明してくれる。」

バウハウスの教育

芸術と技術を一体化して考える斬新な教育方針を取ったバウハウス。

バウハウスで教鞭を取ったスイス出身の芸術家ヨハネス・イッテン(Johannes Itten)の絵画は、芸術と建築の融合作品として知られています。

教師と学生が友人のように過ごし、男女の隔たりなく自由に交流するユートピア。

何も知らないゼロの状態の生徒たちが世界中から集まり、バウハウスで学び変わっていきました。

「私が教える時、私もまた、君から学んでいる。」

ロシア出身の画家ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)

バウハウスと社会

バウハウスの自由で斬新な教育方針は、外部から見ると市民を脅かす存在に見えました。

政治運動に発展した保守勢力の人々に対し、初代校長のグロピウスは展覧会を開催。

無駄な装飾を無くした実用性の高い製品を披露し、民衆の心を掴むことに成功。

親の反対を押し切って入学した生徒は、バウハウスで制作した商品を販売することで生計を立てることができました。

バウハウスの末期

1930年にドイツ出身の建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)が第3代校長に就任。

健全で本質的な技能を持つミースの授業は、建築家を志す学生たちに大きな影響を与えました。

1933年にナチス・ドイツによって占拠&閉鎖されたバウハウス、沢山の貴重な作品や書籍類が燃やされました。

第二次世界大戦後はナチス・ドイツの歴史を浄化するように、ドイツのあちこちで大規模な建設工事が行われました。

【プログラムB】バウハウス・スピリット

100年を経た今も生き続けるバウハウスの精神、豊かな発想でその精神を受け継ぐ変革者たちを追う。

バウハウスのデザイン

第2代校長を務めたスイス出身の建築家ハンネス・マイヤー(Hannes Meyer)は、庶民の生活水準に見合う住宅を設計。

低価格でありながら住心地もデザインも諦めない、良質な暮らしを誰もが手にできるように。

あらかじめ作られたモジュールを好きに組み立てることで、連続的な大量生産を実現。

芸術家と技術者が1つになることで素晴らしいものが生まれることを、度重なる実験と検証で証明しました。

バウハウスの影響

田舎で暮らせない若者や移民の増加により、人口の約90%が都市部で暮らす南米諸国。

国に頼らず個人で問題解決しなければ生き延びることができなかった、長い自己解決の歴史があります。

貧困層が暮らすスラムに社会の中心を作り、若者が国を変える出発点を作りたいと活動する建築家が登場。

限られた予算内で工夫を凝らしインフラやジムを建設、住民が快適に暮らし遊べる場所を構築しました。

【プログラムB】バウハウスの女性たち

バウハウス躍進に多大な貢献をしたにも関わらず、男性優位の環境で影の存在となった女性たちの物語。

女性への教育制度

表向きは「世界を変える・伝統を打破する・男女平等」を謳っていたバウハウス。

開校当初は女性の入学者が多くいましたが、いつからか女性の入学者受入数は3分の1に減少。

その背景には、男性教員の男尊女卑思想やバウハウスの社会的成功などがありました。

女性は金属工芸に不要とされ、女性が入学できるのは最終的に織物クラスのみとなりました。

女性たちの活躍と反撃

織物クラスを強制された女性たちは、その怒りを織物・玩具・インテリアの制作にぶつけました。

才能豊かな女性たちが多く、クオリティの高い織物・玩具・インテリアは学校の大きな収入源となりました。

男女平等や雇用契約の改善を求めて学校と戦い、外務省に認めてもらうため精力的に活動した女性たち。

その努力も虚しく1933年にバウハウスは閉校、彼女たちの死後ようやく社会的評価がされ始めました。

【プログラムC】ミース・オン・シーン

近代建築の三大巨匠の1人、ミースの傑作「バルセロナ・パビリオン」と彼の建築哲学に迫る。

バルセロナ・パビリオン

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1929年のバルセロナ万国博覧会で建設され、1986年にミース記念館として復元された「バルセロナ・パビリオン

第3代校長を務めたミースの最高傑作であり、現代建築のモデルとして今も君臨する一流の建築です。

ゴージャスな大理石・アルジェリア産のオニキスの壁・微量の鉱物を含むガラスなどの洗練された素材を使用。

骨組みを石材で隠す結合面の処理には、美は細部に宿ることを体現した「Less is more.」の精神が反映されています。

長く滞在すればするほどその繊細さが見えてくる、1人で内省するのに最適な空間。

他の何かに例えることなどできない唯一無二の存在感、改善の余地がない完璧さがここにはあります。

【プログラムC】ファグス:グロピウスと近代建築の胎動

初期モダニズム建築の傑作「ファグス靴型工場」、労働者の宮殿を目指した若きグロピウスの情熱。

ファグス

1911年から1925年にドイツ出身の建築家ヴァルター・アードルフ・ゲオルク・グロピウス(Walter Adolph Georg Gropius)とアドルフ・マイヤー(Adolf Meyer)がニーダーザクセン州(Niedersachsen)に建設した「ファグス靴型工場

ファグス社の創立者のカール・ベンシャイト(Karl Benscheidt)のビジョンは、生産性高く高品質なものを作ること。

良いものを作るためには良い環境を用意することが必須であると考え、労働者が気持ち良く働ける建物の設計を依頼。

日当たりと風通し抜群の、軽やかなガラス張りの建物が完成しました。

築100年以上経った現在も、快適な空間で芸術作品を作るように働く労働者の姿を見ることができます。

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