サンティアゴ要塞(Fort Santiago)
サンティアゴ要塞について
サンティアゴ要塞は、城壁都市のイントラムロスにある要塞です。
かつて、敷地にはタガログ族の砦が存在しましたが、1570年にスペイン軍のマルティン・デ・ゴイチ(Martín de Goiti)によって破壊されました。
1571年にスペイン政府が建設した要塞は、1574年のマニラの戦いでリマホン(Limahong)が率いる中国の海賊により破壊されました。
1593年、タガログ族との戦いで勝利したスペイン人が現在の要塞を建設しました。
1762年にはイギリス軍、1898年にはアメリカ軍、1942年には日本軍によって占拠されました。
1645年と1880年には、フィリピン北部のルソン島で起きたルソン地震の影響で、要塞の一部が倒壊しました。
第二次世界大戦で破壊された後、1950年に自由の象徴であることが宣言され、1953年以降に複数回修復されました。
南東側にある正門は、高さが12メートルあり、イエスの使徒の一人である聖ヤコブ(Santiago)のレリーフが彫られています。
南西側には、フィリピン独立運動に取り組んだ国民的英雄のホセ・リサール(José Rizal)の記念館があります。
大理石で作られたホワイト・クロスの下には、第二次世界大戦で犠牲となった600人の死者が埋葬されています。
北西側には、1599年に建設されたサンタ・バーバラ(Santa Barbara)と呼ばれる保管庫と火薬庫があります。
北東側には、18世紀に軍の兵舎および下士官学校として建設された建物の跡地があり、第二次世界大戦で破壊されました。
1967年、スペイン軍との戦いで指揮官を務めたラジャ・スレイマン(Rajah Sulayman)の名を付けた屋外劇場に改装されました。